科学するHIIT

高強度インターバルトレーニング(HIIT)が誘導する乳酸シグナル伝達:骨格筋および全身性適応における役割の科学的解析

Tags: HIIT, 乳酸, シグナル伝達, 骨格筋, 代謝適応, HCAR1, ラクチル化, 運動生理学, 分子メカニズム, スポーツ科学

はじめに:乳酸の新たな側面とHIIT

高強度インターバルトレーニング(HIIT)は、短時間で高い運動強度を達成し、インターバルを挟むことを特徴とする運動様式です。その高い運動強度ゆえに、無酸素性代謝経路である解糖系が強く活性化され、多量の乳酸が産生されることが生理的な特徴の一つとして挙げられます。従来、乳酸は運動性疲労の原因物質として捉えられていましたが、近年の研究により、細胞内外でシグナル伝達分子としても機能することが明らかになってきています。特に、骨格筋や他の組織において、乳酸が様々な生理応答や運動適応を媒介する可能性が示唆されています。

本記事では、最新の研究論文に基づき、HIIT実施時における乳酸の動態とその輸送メカニズム、そして骨格筋における主要な乳酸シグナル経路(HCAR1/GPR81およびタンパク質ラクチル化)に焦点を当て、これらのシグナルがどのように骨格筋自体の適応に寄与するのかを科学的に掘り下げます。さらに、骨格筋から放出された乳酸が他の組織とのクロストークを介して全身性適応に与える影響についても考察し、HIITによる多様な生理的効果の一部が乳酸シグナルによって媒介されている可能性について、現在の科学的知見を整理します。

HIIT中の乳酸動態と輸送メカニズム

HIITのような高強度運動では、筋収縮によるATP要求量が酸素供給速度を上回るため、筋細胞質における解糖系が亢進し、ピルビン酸から乳酸への変換が加速します。この乳酸は、プロトンと共にモノカルボン酸トランスポーター(MCTs: Monocarboxylate Transporters)ファミリーを介して細胞膜を透過します。骨格筋においては、主にMCT1とMCT4が重要な役割を担っており、MCT1は乳酸の細胞内外への双方向輸送に関与し、特に乳酸の細胞への取り込みと酸化に寄与すると考えられています。一方、MCT4は主に細胞外への乳酸輸送( efflux)を担い、高強度の解糖系代謝が盛んな速筋線維に多く発現しています。

HIITによって誘導される乳酸の動態は、運動強度、インターバル時間、セット数といったプロトコルの設計に大きく依存します。スプリントインターバルトレーニング(SIT)のように非常に高い強度で短時間行うプロトコルでは、筋内乳酸濃度が急激に上昇し、MCT4による細胞外への大量輸送が特徴的です。一方、高強度インターバル運動(HIIE)のように、より長時間かつやや低い強度で行うプロトコルでは、筋内乳酸濃度の上昇はSITほど急激ではないものの、MCT1を介した乳酸の酸化利用もより促進される可能性があります。

研究では、トレーニングによるこれらのMCTsの発現変化が報告されています。例えば、複数の研究が、HIITトレーニングによって骨格筋におけるMCT1およびMCT4の発現量が増加することを示唆しています(特定のレビュー論文などにまとめられています)。これらの輸送体の適応的な増加は、運動中の乳酸クリアランス能力を高め、インターバル間の回復を促進し、繰り返し高強度運動を行う能力(すなわち運動耐容能)の向上に寄与すると考えられています。

乳酸の動態を詳細に解析するためには、血液や筋肉組織のサンプルを用いた乳酸濃度測定に加え、安定同位体トレーサー(例:13C標識乳酸)を用いた動態追跡研究などが用いられます。これにより、乳酸の産生、輸送、クリアランスの速度論的な情報を得ることが可能となります。

骨格筋における乳酸シグナル機能の詳細

乳酸が骨格筋においてシグナル分子として機能するメカニズムは複数提唱されています。主要な経路として、ヒドロキシカルボン酸受容体1 (HCAR1/GPR81) を介したシグナル伝達と、タンパク質の翻訳後修飾であるラクチル化が挙げられます。

1. HCAR1/GPR81を介したシグナル伝達

HCAR1はGタンパク質共役型受容体(GPCR)の一種であり、乳酸をリガンドとして細胞膜上に発現しています。骨格筋においても発現が確認されており、乳酸がHCAR1に結合すると、主にGiと呼ばれるGタンパク質を活性化します。Giタンパク質の活性化は、アデニル酸シクラーゼの活性を抑制し、細胞内のサイクリックAMP (cAMP) 濃度を低下させます。cAMPシグナル経路は様々な細胞機能に関与しており、その抑制は例えば脂肪分解の抑制につながることが知られています(脂肪細胞におけるHCAR1の主要な機能)。

骨格筋におけるHCAR1のシグナル経路については、まだ完全に解明されているわけではありませんが、HCAR1の活性化がERK MAPK経路の活性化を介して遺伝子発現や細胞増殖に関与する可能性が示唆されています(動物モデルを用いた研究など)。HIITによって筋内および血中乳酸濃度が一時的に顕著に上昇するため、この期間中にHCAR1を介したシグナルが活性化され、その後の骨格筋の適応応答(例:ミトコンドリア生合成、毛細血管新生関連遺伝子の発現調節など)に寄与している可能性が考えられます。特定の研究グループは、HIITトレーニングによって骨格筋におけるHCAR1の発現量が増加することを報告しており、これは乳酸に対する応答性が高まることを示唆していると考えられます。図Xに、HCAR1を介した乳酸シグナルの概念図を示します(注:図は生成していません)。

2. タンパク質ラクチル化

より新しい乳酸のシグナル機能として注目されているのが、タンパク質の翻訳後修飾であるラクチル化です。細胞内で代謝中間体であるLactyl-CoAが存在すると、これが酵素的または非酵素的にタンパク質のリジン残基に結合し、ラクチル基を付加します。この「タンパク質ラクチル化」が、近年、ヒストンタンパク質において発見され、遺伝子発現のエピジェネティックな制御に関与することが明らかになりました。

高強度運動、特に解糖系が強く活性化されるHIITのような運動は、細胞内の乳酸濃度だけでなく、Lactyl-CoAの濃度も上昇させることが示唆されています。複数の研究(例:特定の原著論文)は、高強度運動後に骨格筋においてヒストンを含む様々なタンパク質のラクチル化レベルが上昇することを報告しています。特にヒストンH3のリジン18残基のラクチル化 (H3K18la) は、解糖系関連遺伝子やミトコンドリア生合成関連遺伝子のプロモーター領域に局在し、これらの遺伝子の転写を促進する可能性が示唆されています。

この知見は、HIITによる骨格筋の代謝適応(例:解糖系酵素活性の増加やミトコンドリア機能・量の向上)の一部が、乳酸を介したタンパク質ラクチル化によって制御されている可能性を示唆するものです。タンパク質ラクチル化は比較的新しい研究領域であり、そのメカニズムの詳細や、ヒストン以外のタンパク質のラクチル化が骨格筋機能や適応にどう影響するのかについては、今後のさらなる研究が待たれています。プロテオミクス解析やエピゲノミクス解析といったオミクス手法が、この分野の研究を加速させています。

全身性適応への乳酸シグナルの寄与

骨格筋で産生された乳酸は、血流に乗って全身を循環し、他の組織で利用されたり、シグナルとして機能したりします。この組織間での乳酸のやり取りは「Lactate shuttle」と呼ばれ、全身の代謝調節において重要な役割を果たしています。

これらの全身性への影響は、骨格筋で大量に産生された乳酸が血中濃度を上昇させ、各組織に到達することで引き起こされると考えられます。このように、乳酸は単に消費されるエネルギー基質としてだけでなく、全身の臓器間のクロストークを仲介するシグナル分子として、HIITによる多様な生理的適応に多面的に寄与していることが、最新の研究によって示唆されています。

考察と今後の研究課題

HIITによって誘導される乳酸の動態変化と、それが多様なシグナル経路(HCAR1、タンパク質ラクチル化など)を介して骨格筋および全身の適応に寄与するという知見は、HIITの効果メカニズムをより深く理解する上で非常に重要です。特に、タンパク質ラクチル化のように比較的新しく発見されたメカニズムは、今後の研究によって詳細がさらに明らかになることが期待されます。

一方で、未解明な点も多く存在します。例えば、HIITプロトコルの違い(SIT vs HIIEなど)が、乳酸動態や特定のシグナル経路の活性化パターンにどのように異なる影響を与えるのか。また、個人差(遺伝的背景、トレーニングレベル、性別、年齢など)が乳酸応答やシグナル経路の応答性にどう影響し、「応答者」と「非応答者」の差に寄与するのかといった点も、今後の研究課題として挙げられます。

さらに、ヒトにおいてin vivoでこれらの乳酸シグナル経路の活性化を定量的に評価し、特定の運動効果との因果関係を確立することは容易ではありません。細胞培養系や動物モデルで得られた知見をヒトに応用するためには、より洗練された研究デザインや新しい測定技術が求められます。

将来的には、乳酸シグナル経路の特定の分子(例:HCAR1、Lactyl-CoA合成酵素、特定の脱ラクチル化酵素など)を標的とした介入が、運動効果を増強したり、特定の疾患モデルにおける運動療法効果を最適化したりする可能性も考えられますが、これは現時点では基礎研究の段階にあります。

結論

高強度インターバルトレーニング(HIIT)は、顕著な乳酸産生を伴う運動様式であり、この乳酸が単なる代謝副産物ではなく、細胞内外で重要なシグナル分子として機能することが最新の研究によって明らかになってきています。特に、骨格筋においてはHCAR1/GPR81を介したシグナル伝達や、タンパク質の翻訳後修飾であるラクチル化といったメカニズムが、ミトコンドリア生合成、遺伝子発現調節、代謝適応などの応答に寄与している可能性が強く示唆されています。

さらに、骨格筋から放出された乳酸は、Lactate shuttleを介して肝臓、心臓、脳、脂肪組織、血管といった全身の組織に作用し、糖代謝、脂肪代謝、血管機能、認知機能といった多様な生理的適応にも貢献していると考えられます。

現在の研究は、HIITによる多様な健康・パフォーマンス向上効果の一部が、この乳酸シグナルネットワークによって媒介されている可能性を示唆しています。今後の研究により、乳酸シグナルの詳細なメカニズムや、トレーニングプロトコル、個人差による応答性の違いがさらに解明されることで、HIITの科学的な理解がより深まり、その応用や最適化が進むことが期待されます。